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山形県天童市にある公立小学校、寺津小学校。
『あかるく、かしこく、たくましく』を教育目標に、
小規模校の強みをいかした魅力ある学校づくりを目指しています。
当学校の歴史、概要、教育目標などを詳しくご紹介します。
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昔からこの辺りの池、水田、湿地などに生えている「おもだか」の葉と花を組み合わせたものである。
三枚の葉は、元寺津・舟町・新田、すなわち寺津地区の全部を表している。
上の右と左に出ているふさの形をした花は、寺津小の子どもの仲のよい、きれいな形を示し、下にある花の茎は、小学校の「小」を形どったものである。
南北朝時代1356年、足利氏の子孫、斯波兼頼が出羽按察使に任せられて山形に入り、城を築き、神社や寺を建て、山形市の基礎を築いた。斯波氏は土地の名をとって最上氏と称するようになった。斯波氏はその地理を調べようとして家臣を派遣し視察させたが、民が武士を恐れて近寄らず調査が思い通りに進まなかったので「不入掌(手に入らず)の郷」と呼ばれ、その訛に当て字を使ったものが地名の起こりだと言われている。
また、一説には、村名を寺津と書くようになったのは約600年程昔のことで、領主は山形城の斯波兼頼の家臣、藤原秀敏で近江国の生まれであった。秀敏は城を築き、神社や寺を建て、村を整え、交通を便利にした寺津中興の主だと申すべき人であったという。この期の村の大改新にあたり、村名も新しくしたいということになった。寺の字義に「もと政事を司る役所」とあり、後に「仏寺」になったことから「津」はさんずいへんに聿(ふで)であり、文章を司る潤いのある港(あるは岸)という字義がある。
これらを総合して考えると、寺津という文字には「宗教をもって民心を統一し、文化的役所を設ける豊かな港」という意味もあると言われる。